筆者の人生(社会人編)

当事者研究

はじめに

たな~か(@akasatanaaaka)です!
当ブログを見に来て下さり、本当にありがとうございます😊
作者のプロフィールは、こちらの記事をご覧ください。

とある精神障がい者の通う作業所に6年ほど勤めている精神保健福祉士で、
利用者さんと楽しくおしゃべりしながら、のほほんと過ごす毎日を過ごしています。
利用者さんたちから「今の作業所の方が好きです」とか、「優しい職員でよかった」とか、
そんな言葉を投げかけてもらえて本当に幸せだと思っています!

社会人時代の自分について紹介

今回の記事では、僕の社会人時代の人生を紹介させていただきます!
最後まで読んでいただけるととても嬉しいです!!

社会人になる前については別の記事で書いていこうと思っています。
そちらも是非見て欲しいです!!!

某大学社会福祉学科卒業、児童養護施設に就職

僕は高校3年生の時に福祉の大学に行くことに決め、都内の某福祉大学の社会福祉学科に進学しました。
「子どもと関わる仕事をしたい!」と思い、児童福祉を専攻しましたが、
就活が上手くいかず、就職先が決まらないまま4年生の3月を迎えてしまいました。

社会人を迎える前から既に人生詰みそうになっているのですが…笑
起死回生の出来事が起こります!
十中八九無理だと思っていた「社会福祉士」の試験がまさかの合格!
最後の望みで採用面接を受けていた児童養護施設も社会福祉士試験を合格したことが評価され採用されました。

因みにですが、採用面接を受けた日が2011年の3月11日、「東日本大震災」の日でした。
面接の最中、もの凄い揺れが発生!!
揺れが収まると現場対応のため面接は途中終了になりました。
面接をした職員たちにとっては、とってもインパクトのあった採用面接だったと思います…^_^;

3年間児童養護施設で仕事を続けましたが、上司からの評価が悪く、年度毎に待遇が悪くなっていきます。
1年目は2名の児童の個別担当を任されましたが、2年目は部署を突然変更され担当児童は0人。
3年目は1名任されましたが、年度末頃に「あなたの面倒は見切れない」と言われ、来年度から非常勤職員に降格すると言われました。
家族に相談し、「そんな職場は辞めたほうが良い」と言われ、退職を決めました。

なぜ上司たちからの評価が悪かったのか、いまいちピンときていません。
「たな~かくんは頑張っているのにおかしい」と励ましてくれる職員さんも何人かいましたが、
辞めて正解だったと思っています…笑

児童養護施設退職後、公務員を目指し資格の学校へ

なぜいきなり公務員を目指すことにしたのか、というと…

児童養護施設の上司から「あなたみたいな人は公務員が合うわよ」と言われたからでした。

これは僕の人生の中の本当に大きな失態でした。
自分のことを大切にも思ってもいない人間の言葉を鵜呑みにして、
人生のどん底に向かって突っ走っていきました。

雀の涙ほどの退職金をはたいて、某資格の学校に入学。
当時の自分は対して給料も良くないのに車を持っていて貯金は定期預金の30万円程度。
住んでいたアパートから実家への引っ越しの費用や退去費用で貯金はほぼ消滅しました。

アルバイトの日以外は学校に行って一人静かに朝から夜まで勉強。
自分以外の生徒とは一切交流を持ちませんでした。
ただただひたすら勉強!!!
そして、1年間一生懸命勉強を続けた結果・・・

受けた試験すべて、一次試験さえ不合格という結果に終わりました。

公務員を諦め、職業訓練校へ

自分には勉強は向いていないと考え、路線変更!
職業訓練校に通ってスキルを磨いて手に職をつけようと考えました。
某職業訓練校の「4つのものづくりを体験してから学びたい学科を選択できる!」というコースに入学することにしました。

僕が選んだコースですが、
パンフレットの説明には載っていない罠が隠されていました。
それぞれの学科に進める人数の制限があったのです。

僕があたふたしているうちに他の生徒たちは進めたいコースを先に決められてしまい、余り物のCADの学科に進みました。
CAD担当の先生から「CADは就職先が少ない」という話を学科に進んでから聞かされました。

職業訓練校が上手くいっていない中、失恋でメンタルを悪化させてしまいます。
頭の回転が鈍くなり、気分が乱高下する、それが四六時中続きました。
バイトや職業訓練校の勉強がままならず、このままではヤバいと思い、精神科病院に通院。
「適応障害」(うつ病の手前)と診断されました。

金もない、まともな仕事もない、メンタルもボロボロ。
28歳アラサーダメダメ男の出来上がり!!!
マジで人生オワタ\(^o^)/

人生どん底の時期。
僕の人生の中で一番惨めな思いをした時期でした。

恩人たちのお陰で、今の職場に就職!

一旦児童養護施設を退職する頃の話に戻ります。

児童養護施設での最後の出勤日、僕はある男性と意気投合しました。
その方のご厚意でご自身が理事を務める精神障害者作業所で非常勤職員をすることになりました。
僕にとっての1人目の恩人のAさん。この方に出会わなければ僕は今の職場にいることはなかったし精神保健福祉の業界に関わることはなかったでしょう!!

初めて会う、精神障害を持つ方たち。
最初は正直、「怖い人たちではないか」と心の中で心配していました。
しかし、僕のそんな浅はかな考えは直ぐに覆されました。

皆さん、なんて優しい人たちなんだろう…

「大人って怖い。」自分は子どもの時から薄々そう思って生きてきました。
職員さんも、利用者さんも、全員僕よりも年上の人たちなのですが、
皆が自分に対して優しく声をかけてくれる。
失敗してもビクビクしなくて良い。
上手にできると皆が喜んで僕を褒めてくれる。今までにない経験でした。

この作業所で仕事をしている間に、もう一人の恩人であるBさんと出会います。
Kさんは地元ではかなり慕われているギタリストさんでした。
そんな方が僕に「ボーカルをやってくれないか?」と頼んでくれたのでした。

Bさんにギターを弾いてもらい、人生初のライブ。
これが本当に大盛り上がり!!
最高の気分を味わうことができました。
その年に劇場でBさんのバンドのバックコーラスもやらせてもらいました。

話は「人生どん底の時期」の時に戻ります。
実はKさんは今の僕の職場の上司でした。

Kさんに僕が適応障害になったこと、福祉は向いていないと思っていることを打ち明けていました。
そんな僕にBさんは、「君みたいな人にウチの職場に来てほしいんだよ」と言って僕をスカウトしてくれました。

向いていないと思っていた福祉の道に自分は戻るのか…???
しばらく考えた末、
このチャンスを逃したら本当に人生が終わる。そんな予感して、
今の職場の採用面接を受け、
無事採用が決まりました!

今の職場に就職後から現在まで

いきなりなのですが、

Kさんは僕が入職してから9か月後に他界しました。

今でも忘れません。朝の6時に訃報の電話に起こされて職場に飛んでいきました。
呆然と立ち尽くすスタッフと利用者。
立ち込めるものすごく重い空気。

そんな中、僕はその日からBさんの立場を引き継ぐことになり、
右も左も分からないまま一生懸命働きました。
1年目は本当に大変でした。働きすぎで不眠や気分の落ち込みが出てカウンセリングを受けたりしましたね。
その後も職員の退職、利用者間の重大なトラブル、毎年何かしら頭を悩ませる憂鬱なイベントに幾度となくメンタルを削られました。

なんだかんだで今の職場はとても居心地が良いと感じています。
利用者さんも職員も穏やかに接してくれる方々ばかりなので、僕は皆さんに安心して接することができています!

終わりに

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
ぜひ当ブログを今後ともよろしくお願いします!!!

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