はじめに
たな~か(@akasatanaaaka)です!
当ブログを見に来て下さり、本当にありがとうございます😊
作者のプロフィールは、こちらの記事をご覧ください。
とある精神障がい者の通う作業所の精神保健福祉士として6年ほど勤務をしています!
「精神保健福祉士」についてご存知でしょうか???
かみ砕いて説明すると「メンタル面で苦労を抱えている人たちを、専門の知識や技術を使って、様々な場面でサポートする人」といった感じです。
…説明がざっくりとし過ぎてよく分からないでしょうかね(^_^;)
今後の記事で僕のお仕事である「精神保健福祉士」について紹介しようと思います。
是非読んでもらえると嬉しいです!!
子ども時代の自分について紹介
さてさて、前回の記事では僕の社会人時代のプロフィールを書かせていただきました。
今回は僕の記憶が残っている可能な限り小さい頃の自分の思い出と、
大学を卒業するまでの自分について書いてみました。
今回も最後まで読んでくださると嬉しいです!!
父と母について
まず、自分がどんな親に育てられたか、そこから書いていきたいと思います。
両親がどんな人間だったか、最初に浮かぶイメージを簡潔にまとめると…
- 父親:家族と殆ど喋らない。時々大声で怒鳴り散らす。ただただ怖くて近寄りたくない。
- 母親:厳しい。叩いたり叱ってくる。ダメな奴と罵る。父の愚痴を聞かせてくる。
父とは「おはよう」と「おやすみ」以外の会話は年に数回くらいしかないし、唐突に恐ろしい剣幕で怒鳴ってくるのが印象が強く残っています。父から話しかけるといつも強張って身構えてしまう、大人になってからも変わりませんでした。
父は新型コロナウイルスは流行し始めた2020年に感染し、帰らぬ人になりました。
祖母を残して亡くなったので1周忌までは一生懸命お墓参りしましたが、もう一生行こうとは思っていないです。この人は自分にとって毒親でしかない。
一応は良い面が3つくらいあります。父が話していたことはかなり的を得ているなと思います。
また、父も福祉業界の人なのですが、亡くなった時に「すごくお世話なったんですよ」とか「利用者さんにすごく慕われていたんです」とかそんな話を聞きました。マジで信じられん…。
それと沢山遺産を残してくれました。本来は余生を遊んで暮らすための資金だったのでしょう。慰謝料だと思っています。
母は気分にかなりムラがある人でした。また勉強については非常に厳しく、自分が失敗すると「ドンくさい」とか「ダメな子ね」と吐かれ、自分は辛くて俯いて涙ぐんで何も言えなくなってしまった記憶があります。逆に褒められた記憶がほとんどないです。
父の愚痴を何度も何度も聞かされたのも嫌でしたね。
自分が小4の時に母が急に離婚をしても良いかといきなり聞いて来たのを鮮明に覚えています。家族が離れ離れになるのが怖い、子供の自分はそう感じて即答で嫌だと母に伝えました。
両親は熟年になり離婚しました。母からは父の愚痴をメールで何度も何度も送り付けてきましたが、全部シカトしていましたね。
長くなりましたが、両親はこんな感じの人でした。
僕は大人になるにつれて、両親を心の底から嫌いになりました。
「親は大切にしろ」とか「親孝行しろ」とか、自分の親に対してどうしても思えないんです。
ただ、最近になって母親が変わってきました。どんなに自分が母を無視しても、いつでも自分のことを穏やかに迎えいれてくれるようになってきたんです。
それに気付いてから、月に一度は母親の家に顔を出すようになりました。
食卓を家族で囲んでもテレビを静かに眺めているような家族でしたが、
もちろん良い思い出もたくさんあります。
小学生の頃までは家族旅行にたくさん連れていってもらったし、
家族総出で野球観戦に何度も何度も行きました。
何度も叱られましたが母にピアノを教えてもらって、絶対音感を手に入れました。
小学生時代
友達に恵まれ割と社交的だったと思います。頻繁に友達の家に行って遊んでいました。
今もなお関わっている幼馴染もいます。
1年から6年まで、友人が自然とできて、友人グループたちと仲間内で楽しく遊んでいました。
ただ、ナイーブで落ち込みやすい一面も持っていました。容姿を弄られるのが嫌で引きずってしまってましたね。
辛い時、誰かに相談するという概念がありませんでした。
「偉いよ。自分、本当に頑張っているよ。負けるな!」
こうやって自分で自分を励まして孤独と戦っていたのを覚えています。
中学生時代
地元の公立中学に進学したのですが、いわゆるヤンキー校といった感じの学校でした。
不良が授業中に自由気ままに歩き回って妨害したり、
全体的に生徒たちも尖った人間になっていたような気がします。
中学生から自分は何故か内向的なキャラクターになってました。
友達は常にいましたが穏やか性格の友人たちのグループにいましたね。
この頃から希死念慮が出始めました。
両親のことが嫌い。自分は世界で一番不幸。
この世界に住んでいる人間は死んだら全員地獄に落ちる
自分は死んだら報われてまともな世界に生まれ変わる。
こんな感じで重度の中二病を患っております…笑
中3の秋ごろ、死んで生まれ変わりたいという願望がピークを迎えます。
家の近くにある友達が住んでいるマンションを下見に行って、遺書を書きました。
その数日後、クラスメイト達からからかわれて最悪な気分になったのをきっかけに決意、
その日の夜に準備を済ませ、塾に行くふりをしてマンションの4階からの飛び降りを決行しました。
一瞬気を失った後、気付いたら地面に倒れていました。
失敗したことに気付き、もう一度チャレンジしようと階段を登り始めたのですが、
結局怖くなって家に逃げ帰りました。
自殺しようとしたと母に話すと大泣きされ、病院に父の車で連れていかれました。
診察の結果、左膝の皿骨が真っ二つに骨折、それ以外はかすり傷だけで済んだようです。
左膝は手術が2回必要でした。今も手術の古傷が残っています。
両親から自殺を図ったことは誰にも言わないように言われました。
両親以外には階段から落ちてケガをしたと説明し、事実を隠し続けました。
退院してから暫くは家の近くにあるメンタルクリニックに通院し、効果のよく分からない薬を飲まされましたが効果がよく分からなかったので親に言って服用を中止しました。
同時にカウンセリングも受けましたが、カウンセラーに心を開くことができず、効果は皆無だったと思っています。
後半につづく!!
赤裸々に自分の過去を晒したつもりですが、山ほどある書きたくないことは端折りつつ書いてみました。
普段誰かに自分の過去を語る機会ってあまりないですよね。
ブログって自分の過去を誰かに伝えるための凄く便利なツールだと思います。
長くなったので一旦これにて終了!
最後まで読んでくださり本当にありがとうございました!!
良かったらコメントをツイッターでリプしていただけると嬉しいです!(^^)/
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